学びの秋【定義する秋】
今週のお題「秋の気配」
最近、何かと批判されている朝日新聞ですが、、、、
今日の耕論
「科学は誰のものか」を読んで、考えるところを少し・・・・・。
宇宙物理学者の方が大学を以下のように定義している。
「大学は何より若者を教育する場であり、自由が議論がなされるなかで、真理と平和を尊重する人間に育てていく環境~」
さらに、
学問の定義を、
「知的な喜び、楽しみを人々と共有するためのもの」だと定義し、
大学が果たすべき役割を「国境を越えた真理を追究」すべきであると語っています。
またW大学前学長は、これからの日本の科学研究の果たすべき役割と、その資金配分の基準として、
「明日のものづくりや日本経済のことだけ考える」のではなく、「広く人類社会全体の行く先を俯瞰するような大きな発想も大切」にすべきではないかと述べている。
このような文章をこれから受験勉強が本格化する高校3年生にも読んで貰いたい・・・いや、高校1年にも、中学生にも、、、読んでもらいたい。
喧噪の夏が終わる、この秋に。。。。。
犯 嫌 煙
どうしても、・・・・やはりタバコの臭いが好きになれません。。。
あー、もう嫌だー。。。。。。
パターン
人が怒るときのパターンというのを科学的に分析してみる必要があると痛感した週末だった。
そして今夜も
ネット上には、罵詈雑言が溢れるのだろうな。。。。
安上がりな
専門分野を専門書で学ぼうとすると・・、
本当にお金が要る。。。。。
それも悲しいくらい。。。。
しかし、この場合、とりあえず、2つのことを疑ってかかる必要がある。
【自分で言っていて、問題提起するのもなんだが】
1つ、専門分野を学ぶ必要があるのか。
2つ、専門分野は専門書でしか学べないのか。
働きながら、専門分野が身につけられる→消費して学ぶのとは、反対に対価をいただきながら学ぶ良い方法はないだろうか・・・。
教育の死
確実に教育は死に向かっている、と痛感する場面が多くある。
よく言われることだが、教育のサービス化の進展(教育をサービスだと捉える考え方)が教育を死に追いやったと考えられている。
教育が栄えたおかげで、国が衰退する、などという事態が起こりえるのだろうか・・・。それとも、教育が衰えた影響で国が興隆する、という事態が起こりえるのだろうか・・・。
もう一度、社会制度の基盤である教育について(学校教育、教師の教育力向上)考えなおしてもらえないでしょぅか。
メンタリスト
↑この呼称はもう一般的なのだろうか??
ちょっと良いこと聞いたので、備忘記録がてら。。
1.1日五分でいいから冥想する。あるいは、一点を見つめる。
(何もしない時間を作ることかな)
2.夜、寝る前に自己暗示にかける(メモ書きかipadにでも具体的に目標や夢を書く)。
うーむ、久しぶりに、たまにはテレビにだまされてみるか・・。